2018年4月27日金曜日

引く手数多の大坂なおみ選手

3月にカリフォルニアであったバリパオープンで華やかな優勝を飾った大坂なおみ選手は、アメリカのテニスファンの間でも一躍有名になった。その直後のマイアミオープンでは、彼女の憧れの存在だったセリーナ・ウィリアムズを倒す快挙。セリーナは産休明けだったとは言え、女王を倒した事で大坂選手の強さを誰も否定できなくなった。

日本でも話題になっていたが、彼女の魅力は試合後のインタビューでのちょっとトボけた感じの受け答え。私にとっては娘でもおかしくない20歳という年齢の大坂選手は、いかにも今時の若者という感じで、使う表現もカジュアルで親しみやすい。

そんなちょっと天然ぽい印象が強い大坂選手なのだが、インタビュー記事を読むと違う側面も見えてくる。

彼女はお父さんがハイチ生まれ、お母さんが日本人のいわゆるハーフ。3歳でアメリカに渡ってから、お父さんの指導で一つ上の姉と一緒にずっとテニスをしてきたそうだ。

「将来のウィリアムズ姉妹だね!」と道行く人から言われていたそう。その通り、姉のまりもプロテニス選手だ。


2017年12月26日朝日新聞のインタビュー記事にはこうある。


「日本選手と対戦すると、これまではみんなが相手を応援したけど、今回は私も日本人として見てくれるのが分かった」。

これは2017年のジャパンオープン後の発言。この頃には日本で知名度が上がっていた大坂選手だが、それ以前は、日本で日本人選手と対戦して、相手の方が声援が多いと感じていた時期もあったのだろう。日本語が苦手なことも、コンプレックスとしてあっただろう。

「シャイな性格を案じてのことか、異文化に早くなじんでほしいとの配慮か、学校からは、家庭でも日本語を話さないよう指導された。」

移民がアメリカの学校に通い始めて、母国の言語を忘れてしまうことはよくある。大坂選手もそのせいで日本語をどんどん忘れて行ってしまったそうで、とても残念だ。

3歳から育ったアメリカでの経験を次のようにも話している。

「このルックスなので、アメリカでも目立つ存在だったと思う。小さい時は勝ち進んでも、それほどたくさんの人に応援されなかった」。

ということは日本でもアメリカでも、ハーフならではの苦悩があったというわけだ。

この大坂選手について、大坂選手がランキングを42位まで上げた16年に書かれた記事を見つけた(https://www.splicetoday.com/politics-and-media/japanese-tennis-star-naomi-osaka-doesn-t-speak-japanese)。この記事のライターは、大坂選手が日米で「日本人」と認識されていることに強く疑問を呈している。その背景は、彼女が日本語がほぼ話せず、育ったのは日本ではなくアメリカであるいう理由を上げている。そして日本では黒人に対して深刻な人種差別があるにもかかわらず、日本メディアは大坂選手が強くなったとたんに彼女が「日本人」であることを強調し、アメリカメディアもそれをすんなり受け入れていると、日米のメディアを批判している。そして最後には、彼女がここまで強くなれたのはアメリカでトレーニングを受けたおかげなのだから、それを認識してもよいのでは、とも書いている。

このライターの言いたい事もわかる。ただ彼女は日本人であり、アメリカ人であるとともに、ハイチ人でもある。彼女はお父さんの故郷ハイチからの声援もたくさん受けていて、ハイチでの知名度は抜群だ。2017年には初めてハイチを訪れ、ハイチの子供達と交流している。

大坂なおみ選手のインスタグラムより。お父さんが20年前に建てた学校だそうだ。
もし、2020年のオリンピックで、彼女がもしハイチに強いアイデンティティーを感じ、ハイチ人としての国籍を選んだとしてもおかしくない。おそらく、今なおみ選手は、国籍の選択で日米双方からプレッシャーを感じているかもしれない。ハイチという選択は、ベストだと私は本気で思う。もちろん、日本を選んでくれたら一番嬉しいけれど。


2018年4月25日水曜日

ツアー開始はドラマだらけ

ついにこの日がやってきてしまった。

デビ男のヨーロッパ出発。 前回の大きなツアーから4ヶ月以上ほぼうちにいたデビ男。うちで仕事しているとはいえ、次のツアーのオーガナイズや、作曲や練習など、時間的にフレキシブルなので、ポーにとってはだいたい親が両方うちにいて、少なくともどちらかが遊び相手になってくれるという、VIP(Very Important Person)ならぬVIB(Very Important Baby)待遇の4ヶ月だったわけだ。

それも本日をもっておしまい💀これから7月のデビ男帰宅までは庶民待遇に格下げだ⬇️

3人で空港に着くと、チェックインの後ランチを一緒に食べて、デビ男がセキュリティに向かわなければならない時間まで少し余裕があったので、ポーはパパに肩車をしてもらって一緒に遊んでいた。

私はトイレに行ったときに、出発を待つ飛行機が何機も並ぶ景色が窓越しによく見える穴場スポットを偶然見つけた。「いいスポットがあるよ!」とデビ男とポーを連れてきた。案の定、ポーは窓にかじりついて飛行機や他の車両が動く様子を見始めた。周りには人がいなくて、授乳にも最適な場所だ。しかもここは空港の両サイドのターミナル間をつなぐ通路の目の前にあり、セキュリティを通過した人がターミナル間を歩いて移動している姿も見える。


「じゃ、セキュリティの列が短くてすぐに通過できたら、ここに戻って来るのでまた窓越しに会おう」

と言って、デビ男とお別れした。ポーも「バイ」と言った。

と、事件はここから。

飛行機を見ながらポーが目をこすっているので、こりゃ帰りの車の中で寝るなぁ、と考えた私は、オムツ替えをしなくちゃと思いついた。でも、飛行機を見ていたいポーが嫌がったので、この場で立たせたままでささっと替えることに。これが失敗だった。ちょっと雑に服を脱がせていると、ポーがバランスを崩して前につんのめってしまった。

ゴンと音がすると同時に「ぎゃー!!」と大声でポーが泣き出した。顔を見ると口から血を流している。しかも鼻からも血が出てきた。顔を打ってしまったらしい。

どうしよう、止血しなくちゃ。おしりふきを使って止血しようとするが、一枚では無理で、2枚目3枚目も血で真っ赤になってしまった。

パッと顔を上げると、デビ男が笑顔で手を振りながら窓の向こう側から近づいてきた。

ゲっ!こんな日に限って、セキュリティがびっくりするほどスムーズだったようだ。

近づいてやっと、ポーの流血事態に気づいたようで、デビ男の表情が変わった。防音の窓だからかお互いの声は全く聞こえないので、私は手振り身振りで何が起こったのか説明した。

血が止まってので授乳を始めると、ポーはすぐに眠りに落ちてしまった。

その姿を見ていたデビ男が窓ごしからテキストメッセージを送ってきた。

「もう搭乗時間だから行くね。」

可哀想なデビ男。血まみれになった息子が目の前にいるのに、抱きしめることができない。

私もちょっと途方に暮れて、立ち上がる気力が起きないので、ポーが起きるまでは空港に居残ることにした。

はー。やっぱり面倒臭がるとろくな事ないな。ポーに可哀想なことをしてしまった。

腕の中でスヤスヤ寝ているポーの顔を見ると、上唇がかなり腫れている。口の中を切ってしまったようだ。

20分くらいして、またデビ男が窓越しに登場したのでびっくりした。飛行機の出発が遅れているようだ。

結局、窓を間に挟んで、デビ男と1時間近く一緒にいた。声は聞こえないけど。



デビ男の飛行機が今度こそ出発するというので、またサヨナラを言って間もなく、ポーが目を覚ました。

お昼寝のおかげで機嫌はすっかりいいのだが、上唇は痛々しい。1時間前よりも更に腫れた気がする。本人も違和感があるようで、口を一生懸命すぼめている。

予定外に空港に長居をしたので、蘭の学校に空港から直行することにした。蘭の学校の横には滑り台などの遊具があるので、早めに着いた時はポーはそこで遊んで時間を潰すことができる。

蘭もポーの顔を見るとびっくしていた。「どうしたの〜?」

うちに帰ると、デビ男からテキストメッセージが入っていて、「今日はサンフランシスコに滞在する」とのこと。え?アムステルダム行きはどうなった?実は、ポートランドで乗った飛行機が搭乗後も更に出発が遅れて、結局サンフランシスコで乗る予定だったアムステルダム行きの乗り継ぎ便に乗れなかったらしい。

というわけでトラブル続きの1日だった。ちょっと幸先は悪かったけど、どうかツアーが成功しますように!そしてポーの怪我が1日も早く治りますように!




2018年4月5日木曜日

ホームレスドライバー

2週間ほど家族旅行に出かけ投稿がかなり久しぶりになってしまった。

行き先はカリフォルニアとテキサス。デビ男のコンサートがいくつか入っていたので、仕事とバケーションを兼ねての旅行となった。

まず初日は空港までタクシーで。ポートランドのタクシードライバーはだいたいいつも愛想が良くて親切。スーツケースなどの荷物も率先して出し入れしてくれる。今回のドライバーも気さくな人で、タクシーにポーのチャイルドシートを設置するのも手伝ってくれてすべてがスムーズに行った。

助手席に座ったデビ男との会話を聞いて、タクシー業界が最近かなりシビアになっているのがよく伝わった。原因はUber人気だ。Uberとは宇部に住んでいる人の総称。ではなくて、自家用車をタクシー代わりにして人々を送迎するシステムで、アメリカで2009年に経営が開始してから瞬く間に全米に浸透し、今では世界でも広がりを見せている。読み方はウーバー。日本でも名前を聞いたことがある人はいるだろう。Uberのアプリをスマホにダウンロードしておけば、簡単にリクエストして、タクシーより安価で目的地へ運転してもらえる。例えば、我が家から空港までだいたいタクシーで50ドルくらいなのだが、Uberだと半分で済む。運賃や到着時間もスマホに表示されるので、目的地に着くまでハラハラせずに済むし、ぼったくりの心配もない。また運転する側にとっても、自分の車で空いた時間に誰かを送迎することでちょっとしたお小遣いを稼げるという利点がある。

ただこれはタクシー業界にとっては大きな痛手となり、反発を呼んでいる。2月にはニューヨークのタクシードライバーがマンハッタン 市役所の前で自殺したというニュースを聞いた。彼はタクシードライバーとして生活するために週に100時間勤務しなければならなかったそうだ。

ポートランドのような若者が多い街では特にUberは大人気だ。我が家はまだUberを利用したことないのだが、こうした背景を理由にデビ男はUberはこれからも絶対に使わないと言っている。Uberのことを初めて聞いたときは、デビ男もツアーがないときにこれでお小遣い稼ぎをしようかな、と真面目に話していて、私もなんていい案なんだ✨と思っていたが、どうやらおじゃんになったらしい。

と、カリフォルニア&テキサス旅行を終えて(旅行の話はまた別の投稿で)、今度は空港からタクシーで我が家に帰るときの話。

空港から出て、タクシー乗り場へと移動すると、タクシーを待っている人ではなくタクシーが長蛇の列を成していた。タクシーに乗ろうとする人は私たち以外には見当たらない。普通サイズのタクシーか、それともバンのようなタクシーどちらがいいかと質問して誘導する空港の職員もいたが、相当暇なのだろう。最初にたどり着いたデビ男の顔を見てニコニコだった。一歩遅れて到着した私は別の客だと思ったのか、私にも「普通タクシーですかバンですか?」と聞いてきたので、「あの人と一緒に乗ります」と答えたら、いかにも残念という顔をされた。

で、誘導されたタクシーは当然列の先頭のタクシーなのだが、一目で私は「乗りたくない!」と思った。

最近のタクシーはみんな綺麗でいい車がほとんどなのだが、私たちが割り当てられたタクシーに限ってポンコツ車。出てきたドライバーはタバコ臭く、髪はボサボサ、身なりもかなり汚い。その後ろのタクシーはプリウス。その後ろも。どれも綺麗なタクシーばかり。なんでよりによって私たちはこれなんだよ。

シートベルトのバックルが見当たらず、私がチャイルドシートの設置に手間取っていると「バックルはシートの下に隠れているよ」、といって運ちゃんがシートを引っ張ったらシートが丸ごと外れたのでびっくりした。バックルは確かに隠れていた。しかし大丈夫かよ、ほんとに。

見ると車内もぐちゃぐちゃ。ゴミが散乱しているし、なぜかダンボール 紙がたくさんある。

助手席のデビ男が目的地を伝えると、「あまりポートランドに詳しくないんだよ」というので、デビ男が行き方を説明した。

走り出すと、デビ男が「この業界でなんとかやっている?」と聞いた。

「いや、とっても厳しいよ。なんせ自分はホームレスなんだ。」

つまり、このタクシー内で寝泊まりしているということか。ダンボールは寝るときに窓を遮光するためのなのだろう。

この運ちゃんは道中ずっとお喋りをしていた。元はレースカーのドライバーだったとか、自分は親に全く似ていなくて、産院で取り違えられたに違いないのでDNAテストをしたいとか、スピード違反取締りの警察が、長距離から低周波のレーザーを自分に当てようとしたとか。かなり変わっているけど、フレンドリーさは伝わってきた。

私はとにかく無事故で我が家に着いてくれればそれでよいとそれだけ願っていた。

運賃もどういうシステムなのかいつもより10ドルくらい高かったが、無事だったからよしとしよう。荷物の出し入れも手伝ってくれたし。"I hope I'll see you guys again!"と言ってその運ちゃんはご機嫌で去っていった。次のお客もさぞ度肝を抜かれることだろう。

それにしてもポートランドに住んでいると、予期せぬ出来事があるものだ。